英語で学ぶとセレンディピティの力もつく?

セレンディピティ(英: serendipity)は、

「 Longman Dictionary of contemporary English」によると

Serendipity: the natural ability to make interesting or valuable discoveries by accident

何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉だそうです。

 

「幸せな偶然」(映画のタイトル)

「偶然にものをうまく見つけ出す能力」

「探しているわけでもないもの、それもいいものを偶然に発見する能力」

「偶然、または聡明さによって、予期しない幸運に出会う能力」

 

何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指すようです。

平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことです。

「serendipity」という言葉は、イギリスの政治家にして小説家である

ホレス・ウォルポールが1754年に生み出した造語だそうです。

彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子(The Three Princes of Serendip)』という童話に因んだものです。

(セレンディップとは現在のスリランカのことだそうです)

 

「スリランカの3人の王子」

 

昔、セレンディップの国に3人の王子さまがおりました。

父上である王さまはジアファといいました。

ある日、ジアファは大きくなった息子たちを更に鍛えてやろうと、旅に出すことにしました。
セレンディップを出発した3人の王子は、やがてペルシャの国にやってきました。

そして都の近くでひとりの男に出会いました。

その男はひどく落ち込んでいて、王子たちは一体どうしたのかと彼に訊きました。
「ラクダがいなくなっちまったんでさぁ。旦那方、知りませんかねぇ? 困っちまいまして・・・」
すると王子たちは、そのラクダを知ってるかのように話しだしました。
「お前のラクダは片目が見えないだろ?」

「それに歯が一本抜けてるね?」

「それから足が一本悪くて、引きずって歩くだろう?」
それがみんな当たっていたので、

ラクダの持ち主の男は3人が自分のラクダを本当に見たのだろうと思って、

王子たちが来た方を探したのですが見つかりません。

男は道を引き返し、また王子たちに会いました。
「旦那方、ラクダはあっちにはいなかっただよ・・・本当に見たのかね?どうして知ってたのかね?」
するとまた王子たちはペラペラと喋りました。
「お前のラクダが背負ってる荷物は、片側がバターで、もう片側は蜂蜜だろう?」

「それから女を乗せてるね」

「その女は身ごもってるのだろう?」
またまた王子たちの言うことが当たっているので、

ラクダの持ち主の男は思いました。
(こいつらはきっと、おらのラクダを盗んだんだべ! でなけりゃ、こんなにいろいろ知ってるわけがないべぇ・・・)
そこで男は王子たちを訴えてしまいました。

「あいつらはラクダ泥棒ですだよ! 大事なラクダを盗まれましただ! どうか引っ捕らえてくださいまし!」
王子たちは皇帝の兵士たちに捕らえられました。

皇帝は、なんと王子たちに死刑を宣告します。

 そんなムチャな・・・王子たちの命は風前の灯火・・・!!! さぁ、どうする? スパイ大作戦のようにカッコよく逃げ出すか? いえいえ、それからまもなくラクダは見つかって、王子たちの容疑は晴れました。よかった、よかった・・・
皇帝のベラモは不思議に思い、王子たちに尋ねました。

「どうして見たこともないラクダのことがわかったのじゃ?」
王子たちはスラスラと答えました。

「道ばたの草が、左側だけ食べられてましてね。だから、右目は見えないのだなぁ、と推理したわけですよ、ふふふ」

「草を噛んだ跡を見て、歯が一本ないのだな、とわかりましたよ」

「片足を引きずった跡が道についてましたからね、カンタンですよ」

「道の片側にはアリがぞろぞろいましてね、もう片側はハエがぶんぶんしてました。だから、アリんこがいた側はバターで、ハエがいた反対側は蜂蜜だって思いましてね」

「ラクダが座った跡のそばに、トイレタイムの跡がありましてね。いや、ラクダじゃなくて人のです。これは女だなとわかりましたよ。いや、別に私は変な趣味があるわけじゃないんですけど」

「女が座ったところに手の跡があって、おなかの大きい女性がよっこらしょ、と手をついたのが見えるようでしたよ」
ベラモは王子たちの機知に驚き、自分のそばに置いていろいろな問題を解決させました。

やがて、王子たちは惜しまれながらペルシャを後にし、セレンディップへ帰って行きました。

そして、それぞれ別の王国の王となり、幸せに暮らしたということです。